なぜだかよくわからないが、
知人の死に接したとき、

「薬なんて些細なことじゃないか」

と非常に強く感じた。

生きているってことは、楽しい。。。ほんとうに。
たぶん「おわり」があるからだろう。

いつまでも咲いている花がうつくしいか?
ずっと変化しないものがうつくしいか?
成長しない子どものほうがいいのか?

生き物が産まれ、そして片方で死んでいく。。。

そこには「時」だけが流れている。
でもいちばん大切なのは、たぶんその「時」。

「時」が刻むうつくしさはなんともいえないよさがある。
昔の旧家、いい人生を送ったおじいちゃんおばあちゃん。。。

「薬減らそう」と考えているということは、
なにかと戦っているということ。
なにかって「結局は自分」と「時」なんだよね。

まだまだ自意識過剰な状態なのだろうと思う。
「自意識過剰」、これがPDの本質なのだろう。
「時」がいとおしい。。。