”自分が(さまざまな意味で)駄目であることを認めるのって、なんか気持ちのいいことでしょう。もう自分をごまかして、もしかしたら駄目ではないかもしれないと思うことはやめましょう” 「ぐれる!」(中島羲道著、新潮新書)より

図書館で今、借りている本だ。 確かに、自分が今、駄目であることを認めるのは、なんか気持ちいい。社会は無言のうちに、「普通であること」「正常値に入っていること」を強制する。でも普通ってなんだ? 正常ってなんだ?

パニック障害の症状なんて、思えばささいなものばかりだ。
「急行電車に乗れない」 「外出できない」 「会議が不安だ」 「会食するとドキドキする」 などなど。。。 善良な社会が「普通であること」を暗に求めてくるから、ボク達自信が「自分はおかしい」と思わされてしまっているだけなのかもしれない。いや、きっとそうだ。

「急行電車に乗るとどきどきしてなにがいけない?」

 この問いにボクは答えられない。

「急行電車に乗るとどきどきしてなにが困る?」

 この問いならばわかる。ゆっくり休もうにも休むところがないからだ。 ほらね、あたりまえの答えでしょ。 駄目だったら、休めばいいんだ。 こんなあたりまえのことが、おかしい訳ない。 ものすごく気付きにくいのだが、善良な社会はいろいろなことを、暗に強要してくる。

だから、「急行電車にのるのが駄目なのだ」と認めてしまって、もしかしたら治るかもしれないなんてことは、あっさりとあきらめた方がいい。だって、急行電車がダメでもいいじゃない。ぜんぜん問題ないじゃない。

ほんとうのことをいっちゃうと、パニック障害なんて善良な社会がおしつけているだけのことだ。あ~あ、いっちゃった。 だから、ボクら”パニックホルダー”は、「駄目だ~」と認めちゃって、ごくごく自然な自分の神経の反応に身を委ねているだけでいいのだ。 どうせ15分もすれば治る。でも、社会がそれを許さないから、クスリにお願いして、ちょっと善良な社会にあわせてやっているということだ。ただ、それだけのことだ。